3月8日(金)
石巻REGALの「ひろ子」ちゃんに会ってから、
湊町の鈴木さんの家にお邪魔しました。
震災当時は、支援という言葉だったかも。
その後、応援という形になり、
今は、やっぱり大切な友達となりました。
支援とか、応援という言葉は、僕の中でもうシックリきません。
人に説明するときは、わかりやすいけど、
友達がそこにいる。
そんな感じです。
大切な友達は今・・・
震災後、約半年間、湊小学校で共同生活、その後、
仮設住宅。
今は、住んでいた湊町の家を解体、
奇跡的に隣の息子さんの家が半壊ですみ、
そこを修復して、理髪店&住居にして
住んでおります。
このブログの「
被災地プロジェクト」というブログの過去を見て
いただければわかりますが、津波は、1階の天上まできていて、
家のまわりには、家が流れてきていたり、船が突き刺さっていたり、
私が、震災後2カ月後に行った時は、
足の踏み場もなかったのです。
あれから2年がたち、
今だに、復興計画が出ては、消えを繰り返していました。
その復興計画も、悲しくなるような利権や権力や、利益などの事が
絡み合っており、再生よりも、自分自分に目がいっている人がリーダー
だったりと、悲しくなることばかり。
地震・津波のあと、現地の人達をより悲しませることが、
多くありませんか?
おかしいよ。ほんと!!
でもでも、鈴木さん達は、
「よし!」と、もう国や県や市に頼り、待っているだけではだめだと、
立ち上がったのです。
湊町の仲間をあつめ「ご近所の会」というグループをつくり、
湊町の復興に1歩歩きだしました。
それがなにより嬉しく、
その「ご近所の会」は、おそらく平均年齢65歳くらいではないでしょうか?
愛する湊町に、みんな帰ってきてほしい。
高齢者が住みやすい街にしたい。
子供達・孫が遊べる場所をつくりたい。
一つ一つを、がんばって進めております。
もちろん、僕達だからこそ、出来ることを、
これからも長期にわたって、共に進めたいです。
湊町の僕が考える魅力は、
ご近所同士のコミュニケーションが、温かいのです。
「○○さんの家の○○が、今はこうだ!」とか
「○○さんの家は今、こうなって、ここにいる」とか、
横の人同士を理解して、支え合っている町なのです。
自分の横の家の人の事を、
みなさん知っていますか?
知る必要もないのが、今の世の中ですね。
でもね、支え合っていき、一人では生きれない中で、
とても大切な日本がどこかに置いてきた、文化が残っているのです。
こういう文化があるからこそ、
自分自分ではなく、
人を思いやる心が自然に出てきているのかもともおもいました。
私達が、お伺いしたとき、事前にアポイントをあえてとりませんでした。
アポイントをとると、お土産とか、色々ともう、逆に迷惑になると思ったからです。
突然いっても、「あがっていきな」とやさしく
僕達を受け入れてくれて、
もはや、僕のふるさとのような、我が家のようになっています。
「ただいま!」といいたくなるような鈴木さんのお宅です。
こんな素敵な町や人は、とても貴重で、大切です。
鈴木さんや、湊町一丁目の皆さんには、
沢山のことを学ばせていただいております。
本当に感謝で、大切な人達です。
人情あふれる小さな港の「湊町」を
復活させたいです。
微力でもなんでも、自分の出来ることをやっていきます。
海さくらの仲間ミッシェルさんからの
お土産も、渡しましたよ。ミッシェルさんありがと!!
鈴木さん達も喜んでいましたよ。
石巻海さくらも、年末に湊町のちびっ子達と一緒にゴミ拾いを雨の中実施し、
クリスマスプレゼントを渡したり、写真を持っていったり、交流が生まれています。
代表のまさ君や、カメラマンのケイスケ君がいること。
ひろ子ちゃん、タカシなど、
FACE TO FACE で、みんなで力を合わせれば、
大丈夫!!僕達もいるんです。
本当に、被災地は、まだまだです。
本当にまだまだです。
でも、なんとか、踏ん張って前に進んでいました。
これからも、どうぞ、よろしくお願いいたします。